時代と技術の化学反応 | Brunswick Group
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時代と技術の化学反応

日本触媒の代表取締役社長である五嶋 祐治朗氏は、ブランズウィックの土屋大輔、坂亜祐実とのインタビューで、紙オムツ用素材から電気自動車のバッテリー用素材まで、その時々の時代の要請に応じて変遷する製品ポートフォリオにおける自社技術や他社提携に関する秘訣について語る。

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日本触媒は1941年、無水フタル酸を製造する企業として誕生。合成樹脂原料の独自製法を開発し、それが航空機製造の分野等で広く採用されたほか、戦後にはプラスティックや合成繊維、洗剤に使われる化学製品を開発した。

1950年代、海外技術の輸入をする日本企業も多い中、日本触媒は自社技術の開発にこだわり、より質の高い製品を数多く生み出した。そうした製品が、同社が時代の流れとともに進化する、化学産業の旗手としての地位を確立する一因となった。核家族化による、保護者にとっての子育ての負担増という社会のニーズに応えて布オムツから紙オムツへの大きなシフトがあった70年代、世界的な紙オムツブランド各社と協力し、独自の高吸水性樹脂を開発。今日でも世界市場の4分の1のシェアを占めている。

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直近では、電気自動車や携帯電話など、充電式の電子機器に使われるリチウムイオンバッテリーの電解質「イオネル」を新たに開発した。バッテリーの性能と耐久性を高め、寿命を延ばす働きがあり、電気自動車の性能強化に寄与することを通じて、脱炭素社会への移行も後押ししようとしている。年間生産量は数百トン。これを2023年春から大規模に能力増強する計画である。

日本触媒が現在抱える課題についても、五嶋氏は語った。今や世界各地に拠点を有する同社は、急速に変化する社会課題や規制上の課題への対応を迫られている。五嶋氏はこのような課題について、これまでの取り組みと同様、製品の質と効率、有用性への根本的なこだわりに沿った取り組みが必要と考えている。そして、真に革新的であるためには、製品を提供することで社会に貢献しなければならないと語る

80年前の創業当時は、どういったところに注力されていたのですか?
もちろん、まだ私が生まれる前のことですが、納五平さんという方がいらっしゃいました。日本の化学の走りみたいな方です。ちょうど日中戦争が終わって第二次世界大戦が始まろうとしていた頃、日本の化学産業は硫酸を作り始めました。納さんは、自分たちの技術で何か独自のものを作ろうという時代に、ヲサメ合成化学工業という会社をつくり、硫酸製造用の触媒の製造販売を始めました。

実質的な初代社長である八谷泰造は、もうちょっと色々やってみたい、自分たちの技術で新しいことをやってみたいと考えていました。八谷は非常に前向きな、向上心の強い人物で、会社の中心になりました。満洲鉄道で働いていた人たちとのコネクションで非常に優秀な技術者をすぐに集めることができ、自分たちの技術で日本に新しい化学工業を起こそうと尽力したのです。彼らは製鉄に使うコールタールから、合成樹脂の原料を作る技術を開発しました。この原材料の需要が、戦争によって戦闘機などの用途で伸びていたのです。

戦後、当社の製品の用途は衣類や建設資材などへと広がりました。塩化ビニール樹脂の可塑剤である無水フタル酸もそうです。塩化ビニール樹脂というのは非常に硬く、今も配管材料や水道管などに使われています。これがより広いプラスティックと呼ばれているものに使われるためには、製造時に可塑剤を混ぜ、柔らかくして軟性を高めることが不可欠でした。当社はその可塑剤の原料を提供していたのです。

大半の日本の会社は、海外の技術を輸入していました。八谷はちょっと頑固だったのかもしれません。酸化エチレンなど特定の製品においては、国産技術による工業化に初めて成功したので、競合他社が技術開発力では追いつけない状況でした。

1959年ぐらいになり、今も川崎に製造所がありますが、ここで当社の国産技術による酸化エチレンの製造に成功しました。当時、その隣に日本石油がエチレンプラントを作る予定でしたが、なぜか我々の工事の方が早く終わるということもありました。酸化エチレンと水を反応させてエチレングリコールというものを作り、それを別の原料とくっつけるとポリエステルになります。酸化エチレンは、ポリエステルとなってペットボトルに使われているのです。また、アルコールとくっつけて洗剤の原料にも使われます。日本で売られている洗剤の相当割合に、なんらかの形で我々の酸化エチレンが入っています。

その頃は事故があったりと、大変苦労した時期です。工場を増設しなければならないのにお金が足りず、その資金を集めるため、原料をもらっていた製鉄会社、今の日本製鉄の社長に直談判に行きました。『炎の経営者』という小説にもなったので、お読みになっているかもしれません。製鉄会社の社長が寝台列車に乗っているのを当時の当社の社長が嗅ぎつけ、列車に乗り込んで出資の直談判をしたことが書かれています。必死な時代があったということですね。

当時は日本の化学産業がちょうど立ち上がって伸び盛りの時期にあり、良好な経済環境、外部環境に乗ったところもあったのでしょう。

自社技術への取り組みが、強みになったのでしょうか?
今もそうです。自社で生み出した技術を扱っていますから、顧客の要求に対応することも、細かな用途に合わせて素材の構成をコントロールすることもできます。例えば、酸化エチレンを製造する他の日本企業は海外から輸入した技術を使っていますが、顧客に合わせて製品を調整することは難しくなります。しかし、我々の場合、ある程度自由にオペレーションをコントロールできます。これは大きな強みです。自分たちの欲しい仕様に合わせて製造プロセスなどを変えられますから。これができるのは、我々だけではないかと思います。

M&Aを 通じて目指すのは、持っているもの同士の 足し算を超えて 掛け算でいい会社に なること

市場に合わせてやり方をどんどん変えていくということですね。
はい。自社技術を使うからこそできることです。

可塑剤原料の製造は、競争が厳しくなりすぎてやめたということでしょうか?
やめてしまいました。大きな企業が大規模に作ってくると、コスト競争でしかなくなってきます。そうなると、どうしても規模の経済に負けてしまう。いくら技術があっても太刀打ちできません。そうなった時は、さっさとやめて次に向かうのです。

1980年代、オムツのトップメーカーとも協力しながら、高吸水性樹脂の製造を開始しました。その経緯をお伺いできればと思います
我々はすでに、高吸水性樹脂の原料であるアクリル酸を作っていました。アクリル酸は、塗料や粘着剤といったものにも広く使われます。ただ、それだけでなく、もっと高付加価値のものができないかという探索は続けていました。

高吸水性樹脂にアクリル酸を使う方法は1970年代ぐらいに、アメリカのどこかの研究機関が発見しました。日本でも既に、高吸水性樹脂の開発・生産に取り組んでいる企業がありました。

 我々としては、もっと性能が良くなって、もっと安くできれば、もっと用途が広がる可能性があると考えました。それで、高吸水性樹脂について色々な製法や機能・性能の改良を進め、世界で一番大きなオムツメーカーとの契約に至ったのです。そこから、しつこいぐらいに改良を重ねていった。他の国内外のメーカーさんも紙オムツを作り始め、我々も規模を拡大しました。

近年、オムツ市場や高吸水性樹脂市場での競争が激化し、収益環境は厳しくなってきていますが、技術的、経済的には、まだまだ我々の競争力が高い。我々はアクリル酸から一貫して高吸水性樹脂を作っていますから。現在の世界シェアは約25%です。

次にどうするかを決断するにあたり、次なるイノベーションや新たなアイデアを求めることになるのでしょうか?
そうですね。単に規模だけを追求しても、なかなか利益率が上がってきません。我々の技術がいくら進んでいると言っても、後発の競合メーカーも、我々の10年くらい前の技術レベルに達し、それを生かして低価格帯を支配しにきます。そこそこ使用に耐える材料が安値で市場に入って来たら、そこで我々が互角に戦おうとしても得るものは少ないということです。

それで、よりプレミアムな製品の市場に参入しようとしています。有望な市場の一つは、生理用品や、若者向け、大人向けの介護用オムツなど、もう少し付加価値を高く認めてもらえる市場です。

それをボリュームゾーンの製品と並行し、うまく組み合わせてやっています。プレミアムな部分を増やしていくには、もっと違う機能をつけないと利用者になかなか受け入れられないということで、その辺の開発は今でも進めています。例えば水を吸うといっても大量に吸いさえすればいいわけではなく、速く吸い、吸ったら絶対戻らないといった市場の本当の要求にしっかり応えないとならない。そうしなければプレミアム市場のお客さんは掴めないわけですから、そこはしっかりやっていかなければなりません。

オムツの需要は3%から5%のペースで伸びてきています。我々の見立てでは、この2~3年で相当需給バランスがしまり、市況が上がりやすい環境に近づきつつあります。高吸水性樹脂は値段が相当下がってきたので、現在はどこの競合メーカーも新しく設備を作る意欲が落ちています。だから、新しい設備の発表が全く出てこないのです。

需要が伸びているというのは、開発途上国で紙オムツの使用率が高まっているということですか?
よく言われるのは、1人当たりGDPが3000ドルを超えると紙オムツが普及し始めるということです。人口動態や経済の変化を見ながら需要が出そうなところに見当をつけ、次の作戦を考えています。今の市況はだいぶ厳しいですから、ボリュームゾーンばかり追いかけるわけにいきません。戦略変更を考えています。

「イオネル」を開発しようという話は、どのような経緯で出てきたのでしょうか?
電池に使われる素材というのは、色々な形で結構前からやっています。リチウムイオンバッテリーが出てきて普及し始めたのは、まだそんなに昔ではありませんが、それ以前から電池の材料動向はずっと見ていたわけです。

そういった中、リチウムFSIというフッ素化合物が(リチウムイオンバッテリーの電解質として普及している)リチウムPF6よりも一層いい性能を持つのですが、なかなかうまく作れず世界中で技術の壁となっていました。そこに、我々の触媒技術を生かしてうまく作れないかとチャレンジした無謀な男がいまして、それがたまたまうまくいった。従来の製法に比べ、収率が倍くらい違うのです。

そうしてリチウムFSI事業、イオネルを始めました。電池製造は日本のメーカーがぼやぼやしている間に中国やヨーロッパがどんどん始めています。それで、我々もそちらの市場に矛先を向け直し、日本で小規模に技術開発を始めています。次のステップとして中国やヨーロッパでの地産地消のような形を考えていて、単独か提携かも含め、そろそろ事業展開について決断しなくてはならない時期にいます。

とは言いながら、リチウムイオンバッテリーやイオネルの製品寿命も考えないといけないわけです。特に、バッテリーの世界はこれから全固体電池に移行するなど、どの時点でどのぐらいの変化が起こるかや、今まで以上に技術改良のスピードが速まるということは考えておかないといけない。イオネルもいつまで事業として成り立つのかを考えながら投資戦略を組み、パートナーをしっかり選びながら、かつスピーディーに進めていく。この辺は、今までの事業と進め方がちょっと違いますね。なんとか頑張ろうということでやっています。

「新しい技術は、社会で 活用されない限り イノベーションとは 言えない。単なる自己満足で 終わる

日本触媒として、自社の化学製品の環境に対する影響にどう向き合われますか?
実際のところ、我々の化学製品は環境に悪影響を及ぼすよりも、大きな好影響があると感じています。もちろん、イオネルは電気自動車のバッテリー効率を高め、環境への悪影響を軽減します。他にも、工場排水を浄化する「湿式酸化触媒」などの化学製品もあります。これは、燃料焚きによる大量の炭酸ガス発生を伴うことなく、触媒技術を用いた空気酸化による自立熱で工場廃水の浄化を行います。燃料に頼らないため、大きなCO2排出はありません。

大きな流れとして脱炭素の動きがあります。御社の戦略は、電気自動車市場の成長と結びついているのでしょうか?
特に昨年以降、世界的にカーボンニュートラルが広く提唱されるようになってから、この分野で急激に需要が伸び、イノベーションが進んでいます。我々は電池技術を主要な事業分野の一つと捉え、大きく成長させることを目指しています。

5〜6年くらい前に、新規事業の立ち上げと事業基盤の強化に目を向け直しました。今までのやり方ではまずい業績になってしまうので、外的な経営・経済環境に左右されない事業ポートフォリオをつくらなければなりません。市況商品よりも機能性商品が重要になります。それで、我々が得意な技術と分野に焦点を当て、これから成長するであろう市場とのマッチングを探りながらやってきたわけです。特に、電気自動車向けのリチウムイオンバッテリーは好例です。エネルギー資源分野での技術開発は10年以上前からやっていましたから、ここは他の人にできそうもなく、価格競争に巻き込まれそうもない、やるべき分野だろう、と。

知的財産権を尊重しない国での対策をはじめ、コピーを作られるという悩みにはどう対処されますか?
全く知財を無視したような国に行くのであれば、何をやっても無駄です。そこには絶対進出しないとか、そこでは作らないとか、事業拡大時にはそのぐらいのことを考えるべきでしょう。

実は、当社は無から有を産み出す技術開発は得意だが、世界の変化が数十年前と比べ大きく加速している中、それを実際に事業化する力が十分であるとは言えません。我々の研究開発者はいつも、今後売れるかもしれないが、それが10年先になるというような、結構先の技術をやろうとします。たくさんのアイデアを育てたとしても、事業化しなければ意味がないということです。新しい技術は、社会で活用されない限りイノベーションとは言えない。単なる自己満足で終わる。

R&Dの出口を踏まえた事業戦略が必要で、それがないと成長路線に乗れません。製品を世の中に出したら、誰かが真似することは想定しないといけない。だから、スピードが重要になるのです。一つ製品を出したら、そのすぐ後ろに次の改良品が待っているぐらいの速度で開発サイクルを進めていかないと、やっていくことが難しいのです。

いきなり大きな市場を狙わず小さな市場からスタートして、まず社会実装を目指します。その次に、市場の状況を見ながら規模を拡大する。どの段階でどこと組むのが、成長につながるのか。その中で、技術や原材料調達といった面で相乗効果のある提携先を探しますし、ある意味大胆に、M&Aを通じて一緒になってやるという組み方もあります。いずれにせよ、狙っていく分野をR&Dチーム任せにせず、一つの全社的な計画に沿って、市場参入に向けたR&D戦略を立てることが差し迫って必要です。これは、運用面でも資金面でも大きな変革です。

社長はこれまで応じてこられたインタビューで、特に製造業での、日本企業との協力による自社技術開発についてお話されています。
去年の三洋化成との統合は、上手くいきませんでしたが、まさしくそこを狙った戦略でした。統合や提携については、ある意味でプラットフォームづくりと捉えています。うまくいけば、持っているもの同士の足し算を超えて、掛け算でいい会社になる。そうすると、リスクや次の投資に対する考え方が変わってきます。日本市場自体の成長はあまり期待できない。それはそれとして一つの課題です。そこで我々としては、生き残りだけでなく、仲間とともに世界での成長と繁栄を目指しています。

パートナーは日本企業に限らないということでしょうか?
そうです。よく「オールジャパン」と言いますが、この考え方だと自分たちだけの満足感で終わってしまって、本当の競争力になりません。イノベーションという意味では、もっと多様な幅広い発想が必要でしょう。例えばヨーロッパであれば、そこに適した市場知識が必要になりますから、現地の企業と組む必要があります。

御社の社会課題への対応については、どうお考えですか?
社会貢献を含め、会社の存在意義を踏まえたものへと、経営や考え方をシフトする必要があると考えます。例えば、これまでのような大量生産、大量消費という規範はだいぶ変わってくるでしょう。消費に対する個人の価値の置きどころが量から質へと変わるでしょうし、新型コロナウイルスの世界的な感染流行により、そうした変化は急激に進んでいます。カーボンニュートラル社会への動きも大きな要因となり、物を大事にする、食料廃棄物を少なくする、リサイクルをする、自分たちの環境を住みよくする、自分の健康を安全かつ安定に保つといった方向へと、個人の消費の傾向が変わってくるはずです。

日本触媒としては、そこに我々の技術がどう生かせるか、もう少し深掘りしながらやっていかなくてはなりません。新しい商品がどのように社会に貢献できるのか、常に意識する必要があります。いくら良いものでも、いっぱいエネルギーを使っていっぱいCO2を吐き出しながら作っていては、どうしようもない。その辺は凄く意識して取り組もうと思います。たとえ利益率が数字として下がっても、社会貢献の面が向上していれば、それでいいじゃないかとも思うわけです。

利益だけを追求すると、誰かにきっと迷惑をかけます。

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土屋大輔 ブランズウィック社パートナー兼日本事業統括責任者。東京および世界各地で20人を超える日本専門家、バイリンガルアドバイザーのチームを率いる。坂亜祐実 ブランズウィック社の日本チームエグゼクティブ。両名ともロンドン事務所所属。

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